あの頃のわたしへ

児童虐待は絶対に許されません。サバイバーとして、親にされてきたことを書いています。当事者が「自分の状況はおかしい」と考えるきっかけになれば嬉しいです。

私が自分の状況に気付いたきっかけ

私は、中学受験をして私立中高一貫校に進学し、その後、奨学金とアルバイトの収入で大学、大学院へ進学、卒業しました。 

私は家庭の中だけではなく、小学校、進学塾、中学校・高校、大学、アルバイト、全ての生活がうまくいっていませんでした。

 

自分に危害を加える親だけではなく、信用できない教師、受験や学校生活のストレスを他人にぶつける周り、親の言う「常識」は知っていても年相応の常識を知らない私、うまくいくはずがありません。

 

私は、ちゃんと育てられていないので、狂っていました。
しかし、「逃げる」という選択肢の存在を知らず、また、レールから外れてはいけないと刷り込まれていたので、違和感を抱えながら「普通」の生活を続けていました。


ところが、「普通」の生活をしていた私に、レールを外れる時がきました。
大学在籍時、就職活動に失敗したのです。
内定を1つももらうことができませんでした。
当時は不景気、常識を知らない私は、うまくいかない就職活動に打ちのめされていました。


それでも完全にレールを外れることが怖かった私は、大学院進学を決めました。
ろくに学校見学もせず、ただ「まだ出願が間に合う」という理由だけで、家からは通えない、就職のプラスにもならないような、地方の大学院へ進学しました。


こうして、私は初めて親から離れる機会を得ました。

 

結局、大学院は奨学金とわずかなアルバイトの給料では通いきれず、単位を取り切ったら実家に戻り、登校が必要な時だけ学校へ通う形で卒業しました。
向こうで通いきれなかったことは後悔していますが、一時的に家を脱出したことは私にとって大きな自信になりました。


私は、大学院で初めて学生生活を楽しいと思いました。
勉学はまるでダメでしたが、とても充実した日々を過ごしました。
また、さまざまな背景を持つ人が通う学校だったため、多様な価値観に触れ、レールを外れても生きていけることを知りました。

 

結局、またしても内定はもらえませんでした。
フリーターをしながらハローワークに通い、条件は悪いものの、正社員になりました。

 

安月給だったため、しばらくは実家で暮らしていましたが、幾度となく父親と衝突を繰り返しました。
ある時、ついに勢いで不動産屋に駆け込み、実家を出ました。


奨学金を返しながら家賃を払う生活は苦しく、実家暮らしの知り合いを妬む毎日ではありましたが、身の安全が保障されたためか、自分の人生を見つめ直す時間ができました。
20年以上生きて、ようやく過去の自分を振り返り、受け入れていこうと思えるようになりました。
全てを受け入れることはまだ難しいですが、一人で考える時間は確実に人生を豊かにしてくれます。

 

その後、人生で初めて努力をして、やっと人並みの給料を貰える職に就くことが出来ました。

今は、ようやく生活が軌道に乗ってきたところです。